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あふれたら

やあこんばんは!

今後たまにブログ書くことにしまーすっていうお知らせです。

 

理由をちょっとだけ書いておきます。私はついったーをほぼブログがわりに使ってたりするんですけど、大事なこととか、気持ちが高揚したときほどたくさん書きたくなるものじゃないですか。なので、あっさり140字越えちゃうことが多いのです。そうなると、収まるようにカットするんですけど、カットしてる時間って正直無駄だなってことに気がつきました。これ、超あるあるだと思うんですけど、カットしてるうちに面倒くさくてそもそもつぶやくのやめちゃいませんか。ブログがわりと言いつつ、私のついったーの投稿が少なめだったり更新の波が多い理由はほぼこれです。なんといっても、「もういいか、書いてる時間あったら絵描こ、ピアノ弾こ」ってなりがちです。会社の仕事と絵と音楽やってると、うまく時間を割ってゆかないと回らないですし、でもどうしてもこうしても欲張りで全部やりたいから、SNSは結構な確率で見切りをつけて書かずに終わっちゃうこと多いのです。でも、最近そうやって見切りつけることが増えすぎてきて、なんだかもったいないなって感じるようになってきました。だって、もちろん自分の中では書いたものは取っておくにしろ、当然ですが知ってほしいこととか見てほしいことがあって書くっていう根っこも、やっぱりありますからね。

 

ついったーをベースにして考えると、140字越えるってことは、つぶやき程度じゃ終わらなくて、自分のなかに書きたいことが「あふれてる」ってことだなって思うわけです。私、そもそもあふれちゃうのって人間らしくて大好きなんですよ。たとえば、「あの人って人の良さがにじみでてるよね」とか「この写真一枚の雰囲気で楽しそうなのが伝わるよね」とか、そういうのが好きなんです。だから、折角あふれたものをカットして、タイムラインでどんぶらこさせて誰にも拾われないのは勿体ないし、ちゃんと大切にしておきいで流れてしまう可能性があるのは悲しいし、振り返りたいって思うわけです。そこで、140字越えたらもう潔くブログにしちゃったらいいねって考えることにしました。ごった煮になるけど、線引きが楽だし、いろんなものを感じてあふれてるってことだから素敵じゃないかなって。「あふれる」を逃さずキャッチして集めておきましょうってことですね。しかも、ついったーだと裸の王様感ちょっとあるけど、よくも悪くもブログなら、SNSで書いたよって告知したときに見るためにワンクリックが発生するので、1枚服着てる感覚あってちょっと楽かなって思ったりもします。

 

よく、仕事があふれるとかあの人は今いっぱいいっぱいだとか言うけど、人はコップから水があふれるほどはわかりやすくなくって、限界が見える化されてないじゃないですか。だから体壊したり急にぱーって涙が出たりしちゃうんでしょうけど、「あふれる」を感じられるのって、良い意味でも悪い意味でもやっぱり人間らしくて愛くるしい気がします。その結果、例えば仕事の場合なら人に頼ったり頼られたりするわけで、だから一人じゃ生きて行けないことを実感できたり、感情の場合は言葉にならないどうしようもないあれこれを、私だったら絵や音楽や文章に変換したりするわけです。

 

今後気持ちが動きにくくなることがそもそも発生するのかはわからないけど、そういうときのためにも、''私はこういうことであふれるんだな、心が動くんだな''って覚えておきたいなって思いました。

 

そんな感じで140字オーバーしたらぽいぽいブログに書いてくことにします。SNSには書きましたが、手始めに先日の個展でおひろめした絵たちの解説を描いてゆきますね。よかったら読んでね!おしまーい。